独自の防音室
S、Tの両大臣にどう伝わったか。
もっとも、Hも政策委後の会見では、優柔不断だった。
記者が「財務相発言がN銀の独立性に及ぼす影響」について質問すると、Hは顔色を変えずにこう答えた。
「Sさんが色々苦労さなって(話し合いの)会を開くようにしている。それも一時間くらいであるが、色々な話ができるので、意見交換、情報交換の場としては非常に良いと思っている。
私は一兆円という話はSさんから聞いていない」
少し前までの政策委で各委員が立腹した様子はもう忘れたかのような総裁の対応。
政策委の立腹は、しょせん、愚痴でしかないと割り切ってのことか。
実は、政府の総合デフレ対策が決めた一月二十七日朝。
経済財政諮問会議の関係閣僚らがN銀氷川寮別館に集まった。
「公的資本再注入を一二月中に決断する必要がある」と、危機感を脹らせるHに対して、Yは「現時点では必要とは考えていない」と従来通りの主張を繰り返し、平行線を辿った。
素っ気ないYの態度に業を煮やしたHは咳阿を切った。
「海外からは日本の銀行検査が甘いのではないか」という実感をも金融庁の検査体制へのHによる公然批判に、Yは色をなして反論した。
「そんな気持ちでG7で発言しているのですか。
検査局はN銀の考査局と共同作業している。検査が甘いと批判するなら、そちらの考査も否定することになりますよ」
確かに、N銀考査も金融庁の検査マニュアルを土台にしており、考査が検査結果と異なる情報開示をしたことはない。
Hの検査批判は「失言」となった。
口ごもるH。
翌日の政策委の愚痴も表沙汰にしずらい心境だったのかもしれない。
ただ、第六章で見たように、この間にHの辞任の噂が流れている。
首相との直談判の席上か、あるいは政府閣僚との再三にわたる対決の過程で、辞任を引き換えに異例の政策変更を迫ったのか、それとも、受け入れられないと知って、アリバイエ作で辞意を装ったのか。
真相は薮の中だが、事態はそれだけでは終わらなかった。
Kがこの二00二年春に、最終的にYの慎重論に与したことが、その後の展開で、同年秋の逆転ドラマのタネを蒔くことにもなる。
九月末に、Yが金融相を更迭され、Yと対立していたTが金融相を兼務したのだった。
この後、Tの持論でもあり、Hも主張する公的資本再注入に向けて、政府・N銀が一体となって銀行の自己資本不足を言い立てる展開となり、その後の新たな一00三年一月危機が形成されていくのだった。
この時、金融相を兼務したTは、銀行の自己資本不足を強調したTプラン(金融再生プログラム)を立案する。
それとは微妙に歩調を合わせながら、N銀は異例の銀行保有株購入策の決断に向かつていく。
そこに向かう前に、一00二年の三月危機の結末を見ておこう。
市場は一00二年二月の政府の総合デフレ対策に中身が無いことを見抜きつつも、市場の原理に忠実だった。
「日本政府はこれ以上動けない」と見切ると、売りたたいた株の買い上げに向かった。
米景気回復への期待感も加わり、一時、一万円割れだった株価は、一万二千円台を回復、最終的に利食いで値を下げたものの、三月末は一万一千一十四円九四銭で踏みとどまった。
ここでNとMが任期満了を迎える。
一人の任期は、当初から再任無しの四年間と決まっていたため、UやSの時のような水面下の葛藤はなかった。
この結果、新N銀法施行で、民間から招集された六人の審議委員一期生は、再任されたUを除き五人がN銀を去ったことになった。
Nは自らが出席する最後の政策委となった三月十九、二十日の会合でも、独自提案をした。
@インフレ目標の導入A資金供給の円滑な実施のため外債買い入れの開始B当座預金残高目標を二十兆円程度に引き上げC国債買い切りオペを月額一兆五千億円に増額など。
まさに思い切った提案だった。
しかし、最後の提案も、いつものように一対八で否決された。
Nの提案は、N銀の金融政策を注視する外国金融機関やメディアにとっても異質のものだった。
ある外銀リポートは「最後に笑うのはN審議委員?」と題して、こう分析した。
「日本はコンセンサスを重視し、グループの調和を優先する社会だと言われる。
『出る杭は打たれる』と言われる中で、N之審議委員の存在は際立っている。
過去出席した決定会合の八五%で反対票を投じ、その時点では提案に対して一人の同調者も得ていない。
にもかかわらず、提案は先見の明を持ち、最終的に正しいことが証明され、その多くが採用されてきた」Nの提案と反対意見表明に対しては、「合意形成を目指したものではなく、自己顕示でしかない」と批判をする向きもある。
だが、九八年四月からの新N銀法下の金融政策運営において、Nの先行提案が、未知の領域を切り開いてきたのも事実だった。
Nが提案し、採択されないで積み残されたテーマは、インフレ目標と外債購入ぐらいだろう。
政策委がスリーピングに舞い戻らないためには、健全な自己顕示に基づく政策論議が展開されるべきだとも言える。
前者のインフレ目標は先に見たように、FRBリポートが指摘した思い切った政策対応が効く環境を形成するための必要条件かもしれない。
後者の外債購入策は、思いきった非伝統的政策手段への踏み出しを模索する一歩となる。
だが、この一年後のH退陣を受けてF体制に変わった今も、ともに積み残されたままとなっている。
外銀リポートが指摘したように、Nは最後に笑ったかどうか。
二00二年度のGDP成長率は実質一・六%増となったものの、名目では一年連続のマイナス(0・七%減)。
低迷から脱却したわけではなかった。
一00三年度になってやっと景気回復感が広がるが、一方で量的緩和策を巡る効果論議も続いていた。
「N銀は、受け身で市場の需要を調整するスタンスが根本にある。
ところが現在のようなデフレ下の日本経済にはそれでは通用しない。もっと先取りした積極的な金融政策をとるべきだと思う。
政策委決定会合は、単なる議論の場ではなく、最高意思決定の場のはず」「
そのためには、選択肢が出てこないといけない。
今の日本の政治にも一般的に言えるが、選択肢がない。
私がいささかなりとも貢献があったとすれば、選択肢をはっきり提示したことだろう。
世の中からは少数意見と言われたが、実は代替案の提示だった。
私はそれなりに意味があったと思っている」孤軍奮闘を貫いた自負がみなぎっていた。
N以降、政策委会合で、選択肢、代替案を提示する場面がみえにくくなっているようにも見受けられる。
政策委のあり方、執行部のあり方も、もっと柔軟に議論を続ける必要がある。
N自身、政策委のあり方で、思い切った見直し案を提示している。
委員の任期を現行の五年から三年くらいに短縮し、原則再任無しとして、結果責任をとる体制にすべきというものだ。
また政策委九人体制の減量化も提案する。
執行部委員を現行の三人から一ないし二人に、審議委員も一、四人に減らしてはどうかと問う。
Iは「一九九八年にN銀が得た独立性は、棚ぼたの独立性だった」と振り返った。
「大蔵省不祥事などの結果であって、N銀が自ら勝ち取った独立性ではなかった。
それを自らの独立性にするための改革、効率化を進めた四年間だったと言える。
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